読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ゲーム好きマイペース人生の軌跡:年輪日記

就職して子供も生まれて…と、気がつけば10年以上。マイペースなゲーム好きの日常を綴ったブログです。

最後の死の意味するもの(ファイナルファンタジータクティクス)

ゲーム

書こう書こうと思いつつ、忙しさにかまけて放置していたFFTコラムの最後を、少しずつブログにアップしてみようと思います。
いまさらではありますが、このタイミングを逃すと一生アップすることはなさそうなので。

さて…テーマは最後の死の意味するもの。すなわちここでの主役はディリータです。
ディリータの位置づけは常にラムザとの対比で語られますが、彼が背負っていたテーマは何なのか…それを整理したいと思います。

※以下ネタバレなので、クリア前の方は見ないことをおすすめします。



ディリータは表現の仕方を間違っていたものの、たしかにオヴェリアのことを愛していたと思われます。だからこそ、それを失ったとき、ラムザに何を手に入れたかを問うたわけです。
ただディリータが喪失を抱え続けることになったのは、ディリータのやり方が間違っていて、ラムザのやり方が正しかったという証左ではおそらくありません。
ディリータは、その存在からしてあるテーマを背負わされていたと思われます。

制作者がこの作品で何処まで意図していたかはともかく…オウガからの流れを含め、中世的な世界観にも関わらず、近代合理主義的なものの捉え方がたびたび表出してきます。
とくにFFTでは主人公であるラムザ自身が神の不在を知ることとなり、不可視の力によって運命が決まるわけではない、また信仰が幸福を招いてくれるわけでもないことが明らかにされます。

一方のディリータは、体験としてそれを思い知らされます。

なぜ平民の生まれだったのか。
なぜ慎ましやかに暮らしていたにも関わらず、妹は死ぬことになったのか。
ラムザと自分の、ティータとアルマの違いは何処にあるのか。

不条理な現実を前に、彼は神を否定し、極めて合理的な考え方を身につけるに至ります。
すなわち、現実を変えるには神頼みをしても無駄で、自分の力で変えるしかない、という認識です。

その自己変革により、彼は平民から騎士へ、騎士から王へと着実に登りつめて行きます。まるで、ディリータの考え方が正しいことを証明するかのように。

しかしながら、最後の最後でまたしても彼は大切だったものを失う羽目になります。
たまたまディリータのオーランに対する虚勢を、オヴェリアが聞いていたために、誤解を生み出し、別れへと至るわけです。

すなわち、またしても不条理が彼のもとに訪れます。

続く。

 

ファイナルファンタジータクティクス 獅子戦争