ゲーム好きクラスタの楽な生き方:年輪日記

ゲーム、アニメ、漫画、ビジネスと、生活の効率化について。就職して子供も生まれて…と、気がつけば10年以上。マイペースなゲーム好きの日常を綴ったブログです。

銀河英雄伝説 ノイエテーゼのオープニングが美しい

タイトルの通りなのですが、新 銀河英雄伝説のオープニングがとても美しく、見ていて気持ちがよくなります。

テーマ曲も背景の青空、そしてそこを上昇していく宇宙戦艦(おそらくブルュンヒルト)のシャープなデザイン、全てが綺麗に噛み合っている感じがします。

最近このクラシックな美しさのある作品が少なくなっているので、とくに印象に残るのかもしれません。

おススメです。

 

 

 

政治的最高権力はもはやサイコーではない件

ここのところの政治関係の記事がゴシップに溢れているのを見て、もはや政治的な改革前進は望めないのではないかという気になってきます。

脇の甘い側もどうかと思いつつ、より絶望的なのは政治家よりもマスコミと国民と野党な気がしてます。

 

歴史を紐解くと優秀な指導者が清廉とは限らないということを思い知るので、プライベートな清廉さの部分で高望みするのは、プライオリティの付け方を間違っていると感じます。

本来政治家には「どれだけ国益に貢献する能力があるか」が最初に求められる資質であるべきなのに、もはやマスメディアにはそういった話は一切出てきていません。

野党も野党で政策論議をする様子はない模様。ここに関して言えば能力的に劣っていることを過去の政権交代やその後の経緯で見せてしまっているので、そもそも本質では勝てないことを踏まえて、いまのようなスキャンダルで攻めようとしているのかもしれませんが…。でも他人の欠点をつくだけで何も生み出せない人に、

政治なんて任せないですヨネー。

 

モイセスナイム氏の「権力の終焉」を読むとよくわかりますが、権力は分散化が進んでしまい、もはや中世近代の「最高権力」のようなイメージは存在しなくなってます。

そして残念ながら、多くの人は正しいプライオリティの感覚は持ち合わせないし、与えられる情報は偏っており、日々の生活に影響のない(と思っている)ことには無関心です。

こうした条件下で前進を進めていくのは本当に難しいと思う。

 

唯一期待しているのは、時間による解決。

もう30年くらいすればくだらないマスメディアのほとんどは滅んで、それを視聴する団塊世代前後の層もいなくなり、もう少しまともな環境が出来上がるのではないかと感じています。

ただ30年は待ちたくないなーと思う次第。

 

権力の終焉

権力の終焉

 

 

 

映画「オブリビオン」感想 : 美しいディストピア

Amazonプライム・ビデオで無料になっていたため視聴。エイリアンとの戦争後の、核で汚染され荒廃した地球が舞台。

 

トムクルーズが演じる主人公ジャックの仕事は、ほぼ無人となった地球における、資源回収設備とそれを守るドローンのメンテナンス。

その過酷な任務はどうやら刑期によるものらしく、彼は過去の記憶を消されています。

打ち破ったはずのエイリアンは汚染された地球に残り抵抗を繰り返しており、神出鬼没の彼らを相手に、戦闘ドローンの修理を繰り返す日々。

 

基地となる白基調のモダンな居住空間は狭く、パートナーのヴィクトリアとの二人暮らし。

マシンのデザインもインテリアもとてもクールですが、それがより一層荒廃した地球の暖かみの無さを強調してます。

 

記憶のないはずのジャックですが繰り返し見る夢があり、その夢の謎と、エイリアンたちの正体を知ることで、物語は大きく進展します。

 

ふと思ったのですが、この構造、「ニーアオートマタ」に通じるところがあります。

物語もそうですが、荒廃しつつも美しい地球の風景も同様。途中ジャックが干上がった海の底をバイクで走るシーンがありますが、錆びた船舶や潜水艦が墓標のように横たわっている様は、独特の美学があります。もしかしたら何らかの影響を与えているかもしれません。単純に映像を見るだけでも、十分に楽しめると思います。

 

残念ながらストーリーはニーアほどの感動はないものの、この尺のSF映画としては普通に楽しめました。

ラストはハッピーエンドだと思いますが、他人の感想を見ると意見は割れている模様。「自己」の概念をどう解釈するかや、身体性に対する感覚で受け取り方が異なりそうです。

個人的に、その自己に対する解釈よりも、No.49,52以外がどうなったかの方が気になるかな…。

 

星つけるとすると3.8くらいという微妙な位置付けですが、プライム会員ならタダなので、軽い気持ちで見てみるのはありだと思います。

 

 

 

 

 

ゲーム課金のトレンド変化

最近海外を含めたゲームのマネタイズの動向を見ていると、今後の潮流は二つの流れに分岐していくのではないかと感じています。

 

一つはいま日本のモバイルで主流のPay to Win、もう一つは海外のPvPコンテンツで主流の差別化課金です。

 

※Pay to Win: お金を払うほど競争に勝ちやすくなるモデルのこと。以下P2W。

 

この二つがどこで使い分けられるかは、「ゲームのコアが対人戦かそうではないか」と、「ターゲットユーザの成熟度」という二つの要素に依存している気がします。

 

対人戦の場合、P2Wのモデルにすると、最終的には文字通り「札束で殴り合うゲーム」になります。

これはプレイヤー同士がハードルを上げあい、それを越えるためにお金を使うという点では、収益性の高いモデルと言えます。

しかしながらこのモデルの場合、お金を使えない人は必然的に敗者となります。そのため対人戦メインのゲームの場合、かなりな確率でアクティブなプレイヤーが減少していくことになります。

結果、収益性は高いものの、プレイヤー数にギャップがかかります。

 

反対に課金が勝率に関わらないコンテンツであれば、純粋にスキル勝負になります。

ここではリアルの可処分所得などは関係なく、純粋にゲームスキルのみの優劣で競うことができます。

そのため純粋にゲームプレイが好きなコミュニティは、このモデルを好みます。

「ターゲットユーザの成熟度」に依存するというのは、まさにこの点です。

また金銭の多寡という外的要因によらないため、プレイヤーの裾野が広がりやすくなります。

海外のMOBAやFPSのタイトルが全世界的に広がりコミュニティの強い支持を得ている理由の一つは、ここにあると思います。

 

ではこうした非P2Wのコンテンツがどこで稼ぐかと言えば、外見的差別化要素、つまり見た目の変化です。

いってしまうと、リアルで人が服飾を購入するのと同じです。

だって大好きな世界でこそ着飾りたいじゃないですか!

これにランダム性を組み合わせたのが、今のグローバルでのマネタイズの主流だと思います。

 

一方でP2Wは、事実上のソロコンテンツや協力型のCoopコンテンツであれば、プレイヤーの母数を削ぐといったデメリットが生じにくくなります。

日本で主力のモバイルゲームは純粋な対人戦コンテンツよりもこのタイプのものが好まれており、それゆえに外見にとどまらず、直接強さに反映される要素がマネタイズの対象として使われています。

ただしこの「お金を払えば強くなる」というシンプルなルールは、本来のゲーム好き、つまりスキルや思考を使って達成感を得たいという層には好まれません。

古典的なゲームユーザーがソーシャルゲームを毛嫌いする理由の一つは、ここにあると思われます。

とはいえ新興層であるカジュアルゲーマーはそこに強いこだわりはありません。

結果としてこの市場は大きなサイズに拡大しました。

 

ここから見える仮説の一つは、グローバルにウケるコンテンツは対人、非P2Wのモデルを、日本ローカルで稼ぐなら非対人、P2Wのモデルを、ということです。

 

続くかも。

 

「ダーリン・イン・ザ・フランキス」13話感想 辿り着いた場所

ダリフラの13話、良かったです。

このところ各キャラの内面の掘り下げが続いていて、とても良い方向に進みつつあると感じていたのですが、ようやくそれがゼロツーとヒロに至った回でした。

 

なぜゼロツーがヒロのことをダーリンと呼ぶのか、なぜヒロがミツルのエピソードを忘れていたのか、一通りの伏線が回収されると同時に、この先の展開がとても気になる締めくくりになっています。

 

何よりも絵本では魔物が王子さまを好きになった過程は一切描かれていませんでしたが──ゼロツーにはヒロを好きになる理由があったことが、ようやく描かれた回でした。まさに「腑に落ちた」感じ。

劇中の絵本の挿絵も素晴らしかったです。イラストは南野あきさん、POOというペンネームで本の挿絵なども手がけられている模様。ただしこちらのイラストは現代風です。

 

 

しかしここまで来てあらためて思うのですが──ダリフラ最初からこの路線で良かったのでは?という疑問。つまり過度なサービス要素とか変態的な設定なんていらなかったのでは。

ここだけが本当に不思議でしょうがない次第。マーケティング的に必要だと判断したのか、単に好きでやっていたのかどうなのか…。

話題性の獲得とともに別な何かを失っている気がして、そこだけが惜しい限りです。

エンタメが可処分時間の奪い合いになりつつある今、正統なだけだと戦えないということだとすると、寂しい限りです。

 

 

 

「ダーリン・イン・ザ・フランキス」死を意識するということ: 8話感想

トライアングルボムということで、ヒロ、イチゴ、ゴローのポジションに動きのあるゴロー回でした。

なんとなく、この作品のあるべき姿が今回の回で見えた気がします。

 

イチゴの好意に無自覚なヒロよりも、自分の気持ちに自覚的なゴローはとても感情移入しやすいキャラだと思います。そのゴローが死に直面することで、一歩踏み出すところが今回のハイライト(見せ場)です。

 

この死を自覚するというのは現実を生きる僕らにとっても重要なテーマです。

若いときは死を意識することは普通はあまりありませんが、歳を取り身近な人の死に接する機会が増えたりすると、徐々にこれを意識するようになります。

この避けることのできない大きなリスクに向き合ったときに、日常で感じている自分の恐れがいかに小さいものであるかを自覚し、それを乗り越えられるかが人生を主体的に生きるがどうかにおいて、大きなポイントとなります。

 

ゴローはまだ歳若いですが、フランクスの搭乗者としてこの回で死に直面することにより、緩やかな3人の関係性を失うかもしれないというリスクを踏み越え、一歩を踏み出します。

いいね!

この先どんな展開が待ち続けるにせよ、きっと彼は後悔はしないと思います。

 

先日のFate/EXTRA Last Encoreのときも感じたのですが、やはり自分はこういう主体性の獲得という展開が好きな模様。

 

ダーリン・イン・ザ・フランキス エンディング集 vol.1

ダーリン・イン・ザ・フランキス エンディング集 vol.1

 

 

 

自らの決断にこそ未来は宿る Fate/EXTRA Last Encore7話感想

Fate/EXTRA Last Encoreを見ながらずっとこれはアニメでやる意味があるのかが自分の中で腑に落ちていなかったのですが、6,7話のありす回を見てようやくしっくりきました。

 

7話まで見ての所感は下記の通り。

  1. やはり傑作となる予感がある
  2. 前日譚となるEXTRA, CCCを知らないと半分程度しか楽しめない
  3. 圧倒的に尺が足りない

 

3が現時点でのネックで、このために2が生じているとも言えます。

 

物語の序盤で、今回の舞台設定が前作の敗北ルートの延長線上にあり、かつ1000年経過していることが物語の過程で判明します。

ここが肝で、この1000年もの長きに渡り、各階層のマスターたちが何を目指してどう変貌したかが物語を楽しむ上での大きなポイントなのですが、尺的に情報量が収まらず、状況が分かりにくく、物足りなさを感じてしまう一因になっています。

 

もともとFateにおける執念の描き方はこれでもかというくらいのテキスト量で成り立っている印象があり、尺も内面描写も限界があるアニメだと、どうしても解決できない壁がある気がしています。

ただ、回が進むにつれて徐々に見せ方が洗練されつつあり、かつ視聴側の情報量も増えることで、これらの問題点が解消されつつある印象です。

そして今回のありす編は、演出含めてアニメーションならではの良さが光っている印象でした。

 

ありすの最後は切ないものではありますが、その結末を彼女自身が「受け身」ではなく「主体」として捉え解釈したことで、決して不幸ではない場所へ到達したと思います。

ここは非常に重要な点で、幸せのあり方、人間としての尊厳や生き方のキーポイントがどこにあるかということを示しています。

これぞFate!

 

ハクノも自分の目指すべき方向性を見出したこともあり、これからがラストアンコールの公演本番になりそうです。

 

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